優秀賞 神奈川県横浜市保土ヶ谷区 K.I さん
作品タイトル:『21年目のジャンプサーブ』
その夏、栃木県立大田原高校は、1年生エース石井を擁する足利工業高校を準決勝で6-1と破り、悲願の甲子園出場へあと一歩と迫った。
決勝戦、延長11回の裏、セカンドとセンターの間に力のない打球がぽとりと落ちた。打球の行方を見て3塁ランナーはゆっくりとホームイン。最後の一球を投じる前、県大会全イニングスを一人で投げ抜いた大田原のエース人見は、マウンド上に黄色いつばを吐いた。乾ききった喉から出たものは胃液だけだったという。サヨナラゲームのスコアは1-0。強豪の宇都宮工業が優勝を決めた。
1986年、高校最後の夏休みも終わり、新学期の初めに開催された校内球技大会に野球はない。エースだった人見の坊主頭から少し髪も伸び始めた頃だ。人見はその球技大会でバレーボールを選択し、ネット越しにぼくと対峙した。レシーブの構えから、「よー、自慢のジャンプサーブを打ってみろよ。」とぼくを挑発する。「野球の決勝は応援したけど、こっちの決勝は負けねーぞ。」と、いきがって答えたものの、ファイナルセットは14-13とマッチポイントを握られた場面だった。
それほど、運動神経がよい方ではなかったぼくだが、バレーボールだけは人より得意だった。練習試合でジャンプサーブやスパイクを決めると、男子校独特の「おーし」という低い声がかかる。それなりに自己満足していたものだ。しかし、人見に挑発されたそのシーンでぼくは安全なサーブを打ってしまった。簡単にレシーブされたボールは激しいスパイクとなって自陣に帰ってきた。サーブ権は移動し、次の1点は人見のチームに入った。ゲームセット。
2007年の夏、今でもその球技大会は続いているのだろうか?だれも覚えていないあのサーブを自分だけ忘れる事が出来ない。「次に勝負するチャンスが来たら、必ずジャンプサーブを打ってやる。」そう思い続けて21年が経ってしまった。2年生で甲子園初出場を果たした石井投手は、やがて野手となり、たくろーになり、プロ野球の世界で2000本以上もヒットを打つ偉大な選手となった。
ぼくは、スタジアムに子供を連れて行き、「父さんの高校は、たくろーの学校に勝って甲子園に行けそうだったんだ。」と小さな自慢をする。3歳半の長男はきょとんとするばかりなのだが・・・。そしてもっと小さな声で言う。「父さん、あの時打てなかったジャンプサーブを打ってみたいんだ。母さんやお前には苦労かけることになるかもしれないけど、今やらないとジャンプサーブを打たないまま終わってしまう人生のような気がするんだよ。」と。
たくろーブログから伝わってくる決して諦めない気概が、ぼくにそんな勇気を与えてくれる。
■ たくろーからのコメント
当時のことはしっかりと僕の脳裏に焼きついております。
暑い夏、高校一年の夏でした。
大田原・人見投手、「ドカベン」に出てくる土門のような投手。
その人見さんのスタミナと執念に完敗の準決勝でした。
その節は泣かしていただいてありがとうございます。
どうぞ、子供にどんどん自慢しちゃってください。
「パパ、たくろー泣かしたんだぞ」て。
ちなみに僕の母校・足利工業の今の監督が実は植木さんといって
その人見さんとバッテリーを組んでいた人だなんて。
ほんと、びっくりですよ。
■ プレゼント
帽子、トレーディングフィギュア