パパの小言
今日の休日はほとんどはる佳と一緒。
幼稚園の送迎~バレエ教室です。
まあ、バレエとは程遠いものを感じますが・・・。
このほかにも、ピアノを習わせたりプールに通わせたりしていますが、
あまりパッとしないんだよね。
どれも、楽しくやっているし、踊るのが好きなので今日だって
すごく活き活きして楽しそうだったし。
ただ、それを見てる親としてはなんかもの足りさを感じてしまうんだよな。
やっぱり性格なのかな?おっとりしてるというか、マイペース?(それはパパ似)
はいいとしても、なんだろう、「うまくなりたい」という向上心がないんだよね。
親のエゴなのかぁ?
プールにしても、一緒に入った子たちはみんなどんどん上のクラスに
行ってるのにも関わらず、はる佳は年下の子たちと未だに同じクラス。
ついこの間、ひとつ上のクラスに上がれはしたけど
今、ベビークラスでママと一緒にやってるさやかに抜かれるのは時間の問題だもんな。
同じ親の子なのにこの違いはなんなんだ!?と思うよ。
だって普通、ほかの友達と一緒のクラスでやりたいとか
ピアノの発表会があるっていったら、もっと必死になって
「うまくなろう」とか「うまくやりたい」とか思うのが普通じゃない。
でも、はる佳見てると、
「言われたことをちゃんと楽しくやってるんだからいいじゃん!」
みたいな感があるんだよね。
うん、いいと思うよ。それはそれで。
何でも「楽しく」は基本ですから。でもなぁ。
まだはる佳の中で義務的なところがあって、そこに自分の‘意思’が
ないからなんだろうね、きっと。
そこなんだな、問題は。
この時期にいろんなものを学ばせたいというのが親心。
だからといって、押し付けることだけは決してしたくないんだな。
別に将来、水泳選手になってもらいたいとかバレリーナにしたいなんて思ってないし。
ただ、今、いろいろ習わせることによって幼稚園以外のお友達と接して、
より協調性を身につけたり何かを最後まで継続する力、
最後までやり遂げる達成感や責任感であったりと
いろんなものを体験させてあげたいと思ってる。
そこで将来的に視野や道が広げてくれればいい。
子供のためのレールを僕らが敷くことは絶対したくないんでね。
そこに自分の意思はないし、意思のもてない人間になってしまうもの。
そんな苦しい思いはさせたくないから。
そのうちほんとうに「自分がやりたいもの」が見つかるでしょう。
その時は、「やりたい」ものをやらせてあげたい。
その「やりたい」という‘意思’は尊重してあげようと思ってます。
その‘意思’が人間を成長させるんだよね。
‘意思’が‘わがまま’になってしまったら、そこは親として修正して
あげないといけないけど。
この辺が実に紙一重だよね。
ここまで言うのは、僕自身が経験してるからなんだと思う。
プロに入るとき、ピッチャーから野手に転向するとき、忠徳から琢朗に改名したとき
そこには全部、僕の強い意志があったから。
自分で決めたことだからこそここまでやってこれたという自負がある。
これが誰かに決めてもらったり、敷かれたレールに乗っていたら
多分、いろんなものに打ち負けていたと思う。
子供たちにここまでしろとは言わないけど、
これからの将来に向けて沢山の可能性を引き出しを持たせてやりたい。
そのための手助けはしてあげたいなとは思うんです。親として。
